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愛知県常滑市議会議員「井上きょう子」の活動日記
私も議員生活2期目になり、現在のような議会活動が本当に必要なのか疑問を感じる今日この頃である。下記の原稿が「構想日本」から配信されました。とても感銘を受けたので配信しますのでお読みください。

【1】 行政・政治の役目―数千年変わらぬ思い

   羽咋市役所農林水産課 課長補佐/日蓮宗本證山妙法寺 住職

                      高野 誠鮮

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   民衆の数千年以上変わらない願いは、寺の梵鐘に刻み込んで

   ある「天下泰平」「万民気楽」「五穀豊穣」だと思う。これ

   を叶えるのが行政の役目ではないだろうか。しかし現実の行

   政の働きはどうか。千頁もあるカラーの計画書を作っても、

   何千回会議をしても、委員会を作っても、1%も高齢化率は

   下がらない。私は会議や委員会そのものが無駄と言っている

   わけではない。しかし行政に、現状を変えていく行動力が全

   くなく、議論に終始し、現場を放置している事では駄目だと

   思う。



   そもそも行政は、社会を構成する最小単位が「人」であるこ

   とを忘れて政策を作っている。家庭、集落、町、市、県、国

   はいずれも「人」によって構成されているのだ。



   地域が一人の「人=自分」であると想定し、疲弊した集落は

   自分の体の一部だと考えれば、害虫駆除的思想で切断をしよ

   うとはせず、元に戻すリハビリ運動をするに違いない。放置

   すれば壊死するだけだ。そこで必要なのは、「識=体を使っ

   て覚えたこと」
に尽きる。私たち行政マンは、経験から得た

   「識」がないから誤判断を繰り返し、無難な処で収めようと

   終始する。当然のように「変革・改善」には波風がたつ。



   4年間で限界集落から脱却した石川県羽咋市神子原(みこはら)

   地区はこの現状に挑戦してきた。行政がプロデュースし、地

   域住民がアントレプレナー(起業家)となって、まずは自ら

   が動きながら考え、自活自立できる集落づくりに一歩踏み出

   し、農家131軒が出資して会社を起こし集落がリハビリしてい

   る。



   その過程は決して順風満帆なものではない。ブランド化戦略、

   交流戦略、メディア戦略を相互補完的に実行することで、少

   しずつ支援者を増やしてきた。例えばローマ教皇へ米を届け

   ることにより、神子原の米にブランド的価値を付けるのに成

   功した。海外メディアを通じて広報すると、いの一番に棚田

   のオーナー制度のオーナーに申し出たのが外国人で、これも

   話題を呼んだ。メディアに積極的に取り上げてもらうことで

   注目され、移住する若者も増えた。



   それでも一過性で終わってはリハビリにはならない。その裏

   には、自然栽培の技術を提供してくれた農家の存在や、「自

   分が退職するまでは犯罪以外は何をやっても良い」と応援し

   てくれた上司、無農薬農法に理解を示した農協の組合長の存

   在があった。
試行錯誤の過程では、幾多の失敗を経験したが、

   その努力を見ていた人々がいた。彼等は失敗から得た「識」

   を使った挑戦を支援しようと申し出てくれた。彼らと協力し

   て生み出したのが、役所・農協の二つの補助輪を外し、農家

   自らが生産・管理し、希望小売価格を付け販売するという自

   立的サイクルを持つシステムだ。役所と農協は、「農家の背

   中を押すエンジン」の役割を担っている。



   その結果、限界集落と言われ携帯電話もつながらなかった神

   子原地区が、今では若い居住者が経営する喫茶店からは焙煎

   コーヒーの香りが漂い、18年ぶりに子供の声が響いている。

   そこで収穫された米はローマ教皇に献上される程の高評価を

   受け、その噂を聞きつけたシェフが訪ねて来て、フランスの

   三ツ星レストランで扱われるようになったこともあり、本当

   に良い物を作るという独自性を発揮している。限界集落で外

   からの影響を受けていないことが、ここでは自然栽培による

   質の高い安全な農産物を育てるのにプラスに働いた。直売所

   を経営している村人からは「年金よりも農業所得が増えた」

   との声が聞こえ始めている。



   やって見せれば、人は動く。失敗しても、そこから学んだこ

   とは「識」となり、次への糧となる
。「限界集落」から脱却

   できた集落が一つでも存在する限り、どんなに小さな可能性

   に対しても、チャレンジをせず無視することは、最大の悪策

   だと私は思っている。

            * * * * *
(構想日本加藤より)



  勝手な想像にすぎないが、今各地から大勢の人が神子原地区に

  見学に来ているのではないか。そして、その人たちは「うちに

  は高野さんのような人はいないからな」とか「こんな棚田はな

  いからな」とか言っていないだろうか。

  しかし、元々は神子原地区だって、「何もない」ところから始

  めたのだと思う。そして「識」を積み重ねることによって、子

  供や若者の声が響く村になった。

  私は、今の日本には、政治家にも、官僚にも、記者にも、この

  「識」がとことん欠けていると思う。

  ついでに言うと、「事業仕分け」は「識」のある人の判断を

  「識」なく制度を作ったり、予算をつけたりしている人にぶつ

  けているのだ。日本が「限界国家」とならないよう、日本中で

  「識」を重ねていきたい。





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